奥多摩尾根歩き
愛宕尾根、(山内新四国八十八ヶ所霊場)

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今回は愛宕尾根(アタゴ尾根の上半分を登り、松尾沢左岸尾根を下る予定でしたが、愛宕尾根で「!」というか「!!!」な状況に遭遇し、かなりシンドいめにあいました。松尾沢左岸尾根はテキトーな名付けです。
前回は大多摩ウォーキングトレイルの後、路上の酷暑に焼かれてボロボロに。撤退につぐ撤退の憂き目にあってしまいました。今回はその轍を踏まぬよう、短時間かつコンパクトな尾根歩きで暑さの攻撃をいなそうという目論見です。けれども、予期せぬ事態にまたまた計画完遂に暗雲がモッコモッコと立ち込めたのでした。
唐突ですが、四国八十八ヶ所霊場の全行程は約1,400km。徒歩のみで巡礼する歩き遍路だと35〜50日はかかるとされています。この巡礼を1時間30分ほどで巡ることができるという、「えっ、いいんですか!?」みたいなありがたい話があります。
即清寺(そくせいじ)というお寺が背負う愛宕山の山中につくられている山内新四国八十八ヶ所霊場(さんないしんしこくはちじゅうはっかしょれいじょう)がそのありがたい霊場です。
二俣尾駅から即清寺まで寄り道をしなければ40分ほどです。四国八十八ヶ所霊場一番札所の霊山寺(徳島市)まで東京から10時間はかかります。ありがたい話です。
前回たどり着けなかったつるつる温泉をゴールに設定し、俣尾駅を出発しました。
歩いた時間はそれほど長くはないんですが写真記録が多く、前編「愛宕尾根、(山内新四国八十八ヵ所霊場)」と後編「松尾沢左岸尾根に分けました。このページは前編「愛宕尾根、(山内新四国八十八ヵ所霊場)」の二俣尾駅から山内新四国八十八ヶ所霊場の終わりまでです。
次ページは札所巡りを終え、幸せの鐘を鳴らし、愛宕尾根で思わぬ事態に陥ってしまった記録です。
※「標高」は省略しています。
コース [START]JR青梅線二俣尾駅→奥多摩橋→(30分)愛宕神社→(15分)即清寺→山内新四国八十八ヵ所霊場→(1時間30分)展望台(幸せの鐘)→(10分)愛宕尾根→(10分)愛宕山(奥の院)→愛宕尾根通行止地点→作業場→愛宕尾根を離脱して名称不詳の林道→明王沢→(2時間10分)三室山→(15分)通矢尾根(560m圏)→(15分)引き返して540m圏→松尾沢左岸尾根→(1時間10分)奥多摩あきる野線(都道184号)→(25分)[GOAL]つるつる温泉→西武池袋線飯能駅
(6時間50分)
歩いた日 2025年8月9日(土)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

[START]JR青梅線二俣尾駅→奥多摩橋→(30分)愛宕神社→(15分)即清寺→山内新四国八十八ヵ所霊場


二俣尾駅を出発し、奥多摩橋を渡り、「吉野氷川線歩道」という道標に誘われて道迷い。2度の行き止まりを克服し、愛宕神社に立ち寄って即清寺へ。山内新四国八十八ヵ所霊場の札所巡りは番数が大きくなるにしたがってだんだん山深くなっていき、チェックポイントを追いかけるオリエンテーリングみたいで楽しかったです。って罰当たりな感想なのでしょうか。
八十八ヶ所すべてに石仏や碑が安置されているんですが、ひとつとして同じものはありませんでした(のはず)。石仏や碑のそばに立っている番数とお寺の名前が書かれている立札のすべての写真を撮ったんですが、立札はあくまでも案内板です。「石仏や碑の写真を撮ればよかった」と思ったのは帰宅後のこと。ちょっと後悔です。また、巡ります。

おはようございます。二俣尾駅です。跨線橋を渡って青梅街道へ。青梅街道を左(東)へ進み、
テキトーな道をてくてくと歩き、奥多摩橋を渡ります。
橋の上から上流を眺めます。このあたりはきれいに蛇行しています。
橋をわたると「吉野氷川遊歩道」の道標に誘われて階段を降り、
住宅街を歩き、
青梅柚木センターという施設で行き止まりになり、
引き返してテキトーに歩いていると多摩川の川原でまた行き止まりになりました。テントが張られたりして穴場的なキャンプ場かもしれません。ってあまり言わないほいうがいいのかな。
ようやく、最初の目的地にしていた愛宕神社の鳥居に到着。吉野街道沿いです。
奥の院(愛宕山)に行くんだからと思って立ち寄ることにしたんですが、ちょっと後悔。そうとう長い階段です。
愛宕神社の拝殿です。
「愛宕山」と書かれた扁額が掛かっていました。
愛宕神社を辞し、草思堂通りの北詰を右折すると
すぐに即清寺でしたが、お墓に出てしまいました。山門を中から出て入り直します。山門にも「愛宕山」の扁額が掛かっています。
即清寺の本堂。
本堂に向かって左手に平安時代初期に真言宗を開いた弘法大師(空海)の像が立っています。修行時代の遍路姿だと思います。。
空海像の左、通路をはさんだ壁際に山内新四国八十八ヶ所霊場の一番札所がありました。四国八十八ヶ所霊場は空海にゆかりのある四国の88か所の札所(寺)です。「ゆかり」という言葉はなんとも歯切れが悪いんですが、故郷の讃岐(香川県)をはじめ四国を行脚した足跡が札所としてじょじょに定まってきたのでしょう。室町時代以降、それまで僧侶の修行の場だったものが一般人もそれぞれの思いを抱えて巡拝(遍路)するようになったらしい。
案内板によると山内新四国八十八ヶ所霊場ができたのは幕末の慶応年間。1,004両2分1朱の寄付金で石仏や碑が安置されたということです。
一番札所から渡り廊下をくぐります。杖が用意されていて、ポストには「札所マップ」が入っています。札所を抜かりなく巡るのに地形図やスマホGPSは役に立ちません。「札所マップ」片手に位置を確認するのが吉。
渡り廊下をくぐって階段を登る途中に「一丁目 二俣尾 福嶌某」と彫られた古そうな石柱が立っていました。鉄棒2本に支えられているのか鉄棒を支えているのか微妙な関係です。愛宕神社の奥の院には「十八丁目」の石柱が立っていました。
登ってきました。
一番から二十三番は「発心の道場」とされる徳島県内の札所です。五番の後は山王社の前を通り、奥に回り込んでいきます。
十六番で休憩舎が見えますが、ついふらふらとそちらに向かうと十七番から
二十一番まで抜かしてしまいます。二十四番から三十九番は「修行の道場」とされる高知県の札所です。四国でいちばん広い県ですがいちばん札所の数が少ないので遍路泣かせの県といえます。
なぜか三十二番と三十三番の間に八十二番があります(右上)。八十二番はしかるべき場所にもちゃんと立っています。八十二番札所は香川県の根香寺(ねごろじ)というお寺ですが、いったいどういうことなんでしょう。
四十番で高知県をはなれて愛媛県に入ります。「菩提の道場」です。修行を終え、六十五番までに煩悩を断ち切って悟りの境地に達します。
四十九番で視界が開け、愛宕尾根がちらりと見えます。ちょっと休憩。四十九番札所は浄土寺でご本尊は釈迦如来。釈迦如来のご真言は「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」。「札所マップ」の裏面に札所それぞれのご本尊やご真言が記載されています。四国遍路ではご真言をはじめ般若心経など10種類ほどを読経するのが正式な参拝の作法らしいんですが、般若心経を1回、ご真言を3回唱える短縮バージョンでも罰が当たるようなことはまずないみたい。
四十九番からいきなりフツーの山道になります。
立札ばかりずらずら並べていますが、それぞれの札所には仏像や碑が安置されていて1体、1基として同じものはありません。
五十五番あたりからなんとなく間隔があいて道はちょっと険しくなって
六十五番で「菩提の道場」の愛媛県はおしまい。煩悩を断ち切った後の六十六番から八十八番はいよいよ最後の「涅槃の道場」である香川県です。悟りの境地に達し智慧の完成をめざします。
七十一番から七十二番はそこそこの勾配を登ります。七十二番の右隣に2つめの八十二番が立っていて「?」となりますが、ここは小さな築山になっていて右回りに七十二番から
八十二番がぐるりと取り囲んでいます。ちなみに手元の「札所マップ」には八十二番が抜けています。あったりなかったり八十二番の謎です。八十二番から八十三番はちょっとはなれています。
八十七番からさらにはなれて最後の札所である八十八番、大窪寺に到着です。結願(けちがん)です。「ここで冷えたビールが飲めたらなあ」なんて思いが浮かぶわけがありません。煩悩はすでに消失しています。もちろん、杖入れの木枠を見て「昔、瓶ビールは木箱に入っていたよな」なんてことも思うはずがありません。ほうじ茶をごくごく飲みます。
ちょっと休憩して愛宕尾根に向かい、三室山(みむろやま みつむろやま)をめざします。