奥多摩尾根歩き
小焼山北尾根、(三頭沢遊歩道)

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今回は小焼山北尾根を登ります。
小焼山北尾根は三頭山から西に下っている稜線(三頭尾根)上の小焼山をてっぺんにして北に下り玉川に没している尾根です。テキトーな名付けです。
アプローチはかなり長い道程になります。まず、深山橋バス停から小菅川沿いの国道139号をひたすら歩いて玉川キャンプ村へ。キャンプ場から玉川の上流に向かい林道をこれまたひたすら歩き、玉川に降りてようやく小焼山北尾根に取付けます。
下山は三頭山(西峰)からムシカリ峠(笹尾根)、三頭ノ大滝、奥多摩周遊道路、三頭沢遊歩道を経てゴールは檜原温泉センター数馬の湯でむふふな予定です。
※「標高」は省略しています。
コース JR青梅線奥多摩駅→[START]深山橋バス停→(45分)玉川キャンプ村入口→玉川右岸→(1時間)小焼山北尾根取付→小焼山北尾根→(2時間40分)小焼山→三頭尾根→神楽入ノ峰→(1時間30分)三頭山(西峰)→(15分)ムシカリ峠→ブナの路→(45分)三頭大滝→ケヤキの路→奥多摩周遊道路→三頭沢遊歩道→(40分)奥多摩周遊道路旧料金所→(25分)[GOAL]檜原温泉センター数馬の湯→温泉センターバス停→JR五日市線武蔵五日市駅
(8時間)
歩いた日 2025年7月6日(日)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

JR青梅線奥多摩駅→[START]深山橋バス停→(45分)玉川キャンプ村入口→玉川右岸→(1時間)小焼山北尾根取付→小焼山北尾根→(2時間40分)小焼山


前半は深山橋バス停から小菅川沿いを歩き、玉川キャンプ村の手前から玉川沿いの作業道をゆるく登って玉川に降り、小焼山北尾根を小焼山まで登った記録です。
玉川沿いの立派な作業道(林道?)をちゃんと歩きだすまでにかなりまごついたおかげででっかい砂防ダムを見物することができました。
それはそれ、大きな懸案事項が2つ。ひとつはそもそも玉川に降りられるのか、もうひとつは玉川を渡って小焼山北尾根に取付くことができるのか。沢への降下、渡渉、取付、んっ、3つか。とにかく、事前に情報をどうしても得られないときのいつもの不安材料です。
けrども、なんと、この3つの案件がするするすると氷解してしまいました。
もちろん、そんなに甘いことがつづくわけはなく、取付いてそうそう、今年1年分の藪こぎを課せられてしまいました。

おはようございます。奥多摩駅前の2番バス停から鴨沢西行きに乗り30数分、深山橋(みやまばし)バス停で降りました。
深山橋を渡り、灰色の三頭橋(みとうばし)は渡らず、
小菅川沿いの国道139号をひたすら歩きます。
東京都奥多摩町から山梨県小菅村へ。
玉川キャンプ村への入口が見えてきました。
小菅川に架かる橋を渡ります。
キャンプ村の受付方向へ。
右下が受付。左上の道へ。この道が『奥多摩 登山詳細図(西編)』に記載されている「作業道」のようです。
分岐です。うーん、上の「森林エリア→」へ。
「森林エリア→」は広場で行き止まり。引き返して右下の道を下っていくとキャンプ場の端っこでした。家族が大きなテントの撤収作業をしているのを見ながら先に進みます。水の音がだんだん大きくなってきて、橋の向こうに巨大な砂防ダムから水がざんざんと流れ落ちていました。けれども道はここでまた行き止まり。引き返します。
「森林エリア→」に来る途中で見送った道を登ります。どうやらこちらが作業道のようです。
ダートと舗装が交互にやってきます。
この先に進むとめざす小焼山北尾根の取付あたりにたどり着けそうですが「立入禁止」と「まむし多し注意」の看板が吊り下げられています。
ちょっと引き返して足元の玉川を覗き込みます。ここから玉川に降りて取付まで遡るか。迷います。上流の様子がいまひとつはっきりしません。もう少し作業道を登ってみます。
ヘアピンカーブを曲がりきると作業道から右に下る道が分岐していました。車止めだと思われる大きな岩が置かれていて引退した配電盤が立っています。スマホGPSで位置を確認します。玉川に降りられるか、小焼山北尾根に取付けられるかはともかく、位置的にはバッチグーです。
ザックを降ろし、軍手と杖を引っ張りだします。手ぬぐいはバス停からすでに装着済みです。ucc「Cold Brew〜水淹れ」をひとくち飲んで出発します。
下っていくと大きな水音が聞こえてきます。いくつかの小さな水槽を金網が覆っていて金網には草や苔がびっしりと生えています。渓流魚の養殖場のようですが、魚は見えず、大量の水がパイプから水槽に流れ落ちているばかりです。
玉川の上流方向です。小さな滝から水煙が立っています。
そして下流側です。懸案事項だった玉川への降下、玉川の渡渉、小焼々北尾根への取付が一本の橋であっけなく解決してしまいました。橋は左から流れてくる玉川と右奥から流れ落ちてくる熊切沢という沢の出合に架かっています。『多摩川源流部の淵・滝・沢・尾根等の地名とその由来に関する調査・研究』(中村文明 財団法人とうきゅう環境浄化財団 2003)という研究書によると熊切沢にはクマに出くわした猟師が鎌でクマを切ったという言い伝えがあるらしい。クマはまさか死後に名前を残すとは思いもしなかったでしょう。
渡った先は小焼山北尾根の下端です。しっかりした踏み跡は熊切沢の右岸沿いに登っています。ワサビ田なんかがあるのかもしれません。小焼山北尾根には薄い踏み跡がつづいています。
取付きます。「-|9」の林班界標と東京都水道局の赤帽白杭が立っています。
いきなり踏み跡関係なしの崖登りです。
そしてすんごい藪です。崖はすぐ終わり、
小尾根を登ります。ごく薄い踏み跡は赤帽白杭をつないでいるようです。
それにしても大藪です。
いきなりお休み処みたいな場所にでました。突っ切ると
威力を増した藪です。
左手が開け、藪をようやく抜けました。860m圏です。
伐採地跡でした。狭くて深い玉川の対岸にかつて歩いたシンナシ尾根がすぐそこに横たわっています。ちょうど東京都と山梨県の境界部分が見えています。
伐採地跡のへりを登ります。
生かさず殺さずの微妙な勾配がつづきます。930m圏の林班界標を通過し、
1020m圏の伐採地跡のてっぺんです。雲の向こうに大寺山の東京奥多摩仏舎利塔がポツリと見えます。
ザックを降ろし、ヌカザス山の方向なんかを眺めながら休憩します。uccを飲みきり、烏龍茶のペットボトルの封を開けます。販売者は桂香園という会社です。ドラッグストアでいちばん安い烏龍茶を買いました。フツーの味です。
ザックを担ぎ、尾根歩きを再開。
右から小尾根が登ってきます。倒木を越え、
1090m圏で右からの尾根と合流し、小焼山北尾根は左へくっと曲がります。
道中。曇天に緑が映えます。
まーるい尾根にだまされてはいけません。そこそこの急登です。ほうれい線を汗が伝います。
ぐぐぐーっと登ってきて
大岩にぶつかります。左へ。
大岩の裏に回り込んできました。じーっと眺めていてもしようがないので振り向いて
登ります。
林班界標とその下に三頭山から西に下る三頭尾根の登山道が見えてきました。
「9|-」の林班界標が立っています。取付の林班界標の「9」と「-」が逆になっています。登山道を横切りそのまま尾根上を登ります。
地形図からはわかりませんが小ピークから下って鞍部からぐっと登ってきて
小焼山の山頂に到着です。1322mの標高点が設定されています。これにて小焼山北尾根はおしまいです。ザックを降ろして休憩します。
小焼山という郷愁を誘う名前は『奥多摩』(宮内敏雄 昭和刊行会 昭和19)の75ページによると「(小焼山の)山名は鶴川の源流のコヤケ澤のセリの故である」ということらしい。セリは登りつめた場所、という意味だと思います。
それでもって、コヤケは前出の『多摩川源流部の淵・滝・沢・尾根等の地名とその由来に関する調査・研究』に「地元では「小谷毛」の漢字が当てられている。鶴川の源頭に位置する小さな谷からこの名が生まれたのであろう。この谷は昔から地元の人々にとっては、恵みの谷であった。炭焼きを中心に良質の樓、シオジが産出し樫は電柱の腕木として、またシオジは、野球のバットとして広く活用された(後略)」と記載されています。
山名板(左と中)。右は『奥多摩』(宮内敏雄 昭和刊行会 昭和19)の75ページに「このあたり山稜は切開きで、巓と推ふあたりは棒杭が一本打込まれてある」と書かれている棒杭かもしれない杭。だとすれば80年以上も立っていることになります。
ザックを降ろして休憩します。杭のそばに立ってぼーっとしたり、南に下る尾根を覗き込んだり、また杭のそばに立ってぼーっとして、人生80年、この棒杭ほどの存在になりえるか?
寺の鐘がゴーーンーー、聞こえたような。小焼山だけに。

玉川と熊切沢の出合から小焼山北尾根を登った動画です。