奥多摩尾根歩き
浅間尾根、コマ尾根


今回は前回のネズミザス沢右岸尾根カラ沢尾根で歩くことを断念したコマ尾根をメインにした尾根歩きのはずだったんですが、少々ショボい結果になってしまいました。
コマ尾根石尾根の城山(じょうやま)からほぼ真北へ下って金左小屋窪と赤ナギ窪という谷の出合に落ち込んでいる尾根です。名前はテキトーではなく、『日原を繞る山と谷 』(山旅叢書 真鍋健一 朋文堂 昭和17)の14ページの地図にビシッと記載されています。 さらに、あわよくば同じく前回に断念した隣の赤ナギ窪右岸尾根に取付いてみようという魂胆でした。
尾根下端まで降りよう、下端から登ろうなんて思っていません。地形図を見れば一目瞭然、両尾根とも下端は詰みっ詰みの等高線がギシギシとこすれ合ってデンジャラスな焦げ臭さが立ち昇っています。そこそこ下ればよしとしよう、という心づもりです。
コマ尾根の場所もやっかいな問題です。貧脚のパワーをできるだけ温存してコマ尾根のてっぺん、城山に着きたいんですが、諸般の事情で鷹ノ巣山に立ち寄りたかったのでいくつかのコースから浅間尾根を選択しました。
内容がいまひとつだと冒頭が長くなりがちです。さっさと本文に移ります。
コース JR青梅線奥多摩駅→[START]峰谷バス停→三澤橋→奥集落→奥沢林道→(1時間)浅間尾根登り口→(15分)最初の鳥居→浅間尾根→シイタケ農園→(1時間50分)石尾根縦走路→(20分)鷹ノ巣山→水根山→(45分)城山→コマ尾根でごにょごにょ→(1時間)石尾根縦走路→(2時間)小中沢林道(三ノ木戸林道)→(1時間10分)[GOAL]JR青梅線奥多摩駅
(8時間20分)
歩いた日 2024年6月9日(土)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

浅間尾根は登り口までがわかりづらかったです。というかちょっと迷ってしまいました。ビシッと整備された登山道はほぼ稜線の左(西)を登っていきます。鷹ノ巣山避難小屋への登山道を分けて尾根上を歩き、ちょくせつ石尾根の縦走路に出ました。
コマ尾根はかなり魅力的な尾根ではありそーなんですが、今回はそのとばくちで引き返しました。

おはようございます。峰谷(みねだに)バス停はトイレの長蛇の列、ストレッチをするグループ、ベンチに腰掛けたり掛けなかったりしてなんやかんやの準備をするハイカーたちで大賑わいでした。
ふふふ、みんなを置き去りにしてかなり早めにバス停を出発。峰谷川に架かる下り橋を過ぎ、
ずんずん峰谷川右岸をゆるやかに登っていき三澤橋を渡って右へ。左は日蔭名栗山南尾根なんかにアプローチできる峰谷林道です。
橋を渡ってすぐ左折し、コンクリート舗装の坂道を登っていきます。正面の白い看板は鷹ノ巣山登山口への道案内です。文字や線が薄くなっていますがとても助かりました。
ぐーっと登っていきます。いいい天気です。
右手に案内板が立っています。右に折れ、草の生えている道を登っていきます。いきなり山道っぽくなり、
すぐに本格的な山道になり、
雑木の中のくの字くの字の急登から
奥沢林道に出ました。林道から突き出た階段に羽釜が伏せられていました。峰谷川上空に飛び立とうとしているUFOかもしれません。違うという証拠はどこにもありません。
気づくと後ろから聞こえていたハイカーの話し声が聞こえなくなっていました。なんかヘン。右奥の大きな家の縁側に座っていたおじいさんとおばあさんに道を聞くと、左のフェンスのある道が近道だと教えてくれました。
スマホGPSの調子が悪く、出発してからここあたりまでログがちゃんと取れていません。
狭い坂道を登って林道に復帰。石垣の上に案内板が立っています。
振り返るとバス停に置き去りにしたはずのハイカーが次から次へと追いついてきます。まっ、すでに何人にも抜かれていますが。
駐車中の車列を過ぎます。
ようやく登山口に着きました。左の擁壁にがっちり守られた道を登っていきます。
いきなりロープの張られた急坂があったりしますが
立派な道が続きます。前後に人がいる状況で歩くのは慣れていないのでどうもペースがおかしい気がします。
浅間神社のひとつめの鳥居に着きました。ここでようやく浅間尾根に乗ります。3宇の小さな社を通過し、2つめの鳥居をくぐると
登山道の右上に大きな社が建っていました。最後の社です。本殿でしょうか。
登山道はひたすら尾根の左(西)をなぞります。
標高1208m(以降「標高」は省略)の標高点あたりです。
1310mあたりから尾根の左右にシイタケの栽培地が広がります。山の起伏どおりに原木が波打ってずーーっと続いています。圧巻の風景です。
登ってきて
1474m標高点あたりを通過します。左右から登ってきた尾根が合流する小さなピークです。なにもございません。
登山道は左へ、鷹ノ巣山避難小屋に向かいます。けれども地形図を見ると鷹ノ巣山へは尾根上をたどったほうが早く着きそうだし勾配もゆるそうです。正面の尾根を登って石尾根の縦走路をめざすことにしました。
葉っぱがきれいです。
道迷い防止でしょうか、尾根上にロープが張られているところがありました。
石尾根南面の巻道を横断します。
あのてっぺんが石尾根の稜線のはずです。
稜線の反対側のちょっと下に縦走路が走っていました。これにて浅間尾根はおしまいです。稜線に出る前の草地で期せずに山菜を愛でることになって時間を使ってしまいました。
縦走路を鷹ノ巣山に向かいます。
登ってきて
登ります。行く手が空だらけになり、
鷹ノ巣山の山頂に到着です。
山頂には二等三角点があります。標高は1736.60m、基準点名は長澤。
鷹ノ巣山の三角点はいまから120年以上前の明治35年に埋設されたそう。氷川や日原から1日50銭で作業員を雇って(当時の日雇労働者の全国平均は40銭。カレーライスは5〜7銭。『値段の明治・大正・昭和風俗史 上(朝日文庫)より』)観測用の櫓の材料や標石を運び上げ、テント泊を続けて櫓を組み、標石を埋設した記録が残っています。
たくさんの石ころに持ち上げられたような現在の三角点は、おそらく元の高さでも位置でもありません。
今回は鷹ノ巣山の三角点をじっくり観察し、撮影するのが目的のひとつでした。鷹ノ巣山のものを含め、三角点の話を『奥多摩トラバース』でまとめたいと思っています。
山頂からの眺め(ちゃんと撮ってやるぞ、という熱意がまったく伝わってきません)。
山頂を後にし、城山に向かいます。
石尾根を東へどかどかと下っていきます。
1651mの標高点あたりをチラ見。なんにもございません。
水根山の山頂(1620mの標高点あたり)に立ち寄り、
きれいな曲線だな、などと思いながら歩き、
城山に到着。山名板が2つありました。1523mの標高点あたりです。いよいよコマ尾根を下ります。
『日原を繞る山と谷 』(山旅叢書 真鍋健一 朋文堂 昭和17)の14ページ「鷹巣谷遡行略図」に記載されたコマ尾根。尾根の位置が微妙です。下端は金左小屋窪と赤ナギ窪の出合だと思うんですが、金左小屋窪のもっと上流のような気もします。判断材料が少ないのでわかりやすく出合を下端とします。うーむ、どうなのかな。
山名板から下っている尾根はありません。山腹を見渡すとちょっと戻った場所からキツい傾斜で下っている尾根が見えました。あれがコマ尾根にちがいありません。
出発前に意識高い系と思われがちなMUJIの「りんごゼリー食物繊維入り」を喫食します。小さな文字で「肌のことを考えてつくった」とありました。ミスです。エネルギー即バリバリ充電! プラス食物繊維! みたいなつもりでした。
コマ尾根を下ります。かなりの急降下です。金左小屋窪か赤ナギ窪か両方か、下り始めるとすぐに水の音が聞こえてきました。
下ってきて
下ります。獣道が錯綜しています。古い地図に記載されていたソリ道らしきものは見当たりません。というか、ソリ道がどんな道なのかさっぱりわかりません。なんとなくのイメージでは幅は1mほどあってアップダウンは少なくて、、、それくらい。
1440mあたりの小屋跡みたいな平坦地を通過します。
倒木は古そうなものばかりです。
あの先は切れ落ち感ぷんぷんです。
下っていくとやはりバンっと切れ落ちた崖でした。万事休す、かと思ったら
左手の小尾根を下ればコマ尾根の続きに戻れそうです。このあたりの地形は地形図からはちっともわかりません。
右手にも子尾根があるんですがこちらは崖で下るのは無理。木立の向こうは赤ナギ窪右岸尾根でその向こうがカラ沢尾根のはずです。
「きょうはここまで」。唐突に小さいけれど強力な気分にとらわれてしまいました。振り払うだけの気力も理由もありません。引き返すことにします。1400mあたりです。
こんなとこ下ったっけ、みたいな場所が次から次へと現れます。
石尾根の稜線が見えてきました。
縦走路に復帰。これにてコマ尾根はおしまい、と言うにはおこがましいです。ログを見るとほんのちょっぴりしか歩いていません。また今度、です。石尾根を東へ下ります。
前回、ネズミザス沢右岸尾根を登り、クマの親子に会って、カラ沢尾根を登り詰めたカラ沢ノ頭を見上げながら通過します。ここからは前回とほぼ同じルートなので割愛します。ただ今回は小中沢林道から旧道に降りずにずっと林道を歩きました。
佐藤商店で缶ビールを買い、奥多摩駅に着くと電車の発車直前でした。重い足を持ち上げて階段を登り、ホームと電車の広い隙間をエイヤと越えて「セーフ」と思っていると扉が閉まりました。
山の神様、地権者の皆様、きょうもありがとうございました。コマ尾根はちょっと残念な結果になりましたがこんなこともあります。いつかまた必ずきっと相違なく歩きにいきます。よろしくお願いします。