奥多摩尾根歩き
カラ沢尾根、石尾根

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カラ沢尾根→(4時間50分)カラ沢ノ頭→石尾根→(2時間30分)[GOAL]JR青梅線奥多摩駅


このページはカラ沢尾根の後半と石尾根の記録です。
カラ沢尾根の後半は岩峰が落ち着き、ギューッと絞られたヤセ尾根になったり妙に地面がうねって行く手が判然としなくなったり、かなり芸達者な尾根でした。
石尾根に関してはあまり語ることはありません。ビシッとした登山道をひたすら奥多摩駅をめざして下ります。

山仕事の遺物が散らばるヤセ尾根を歩きます。
ヤセ尾根の急登です。
すごくヤセてきて
ヤセというよりは抉れていたりもします。
将門が斬りつけた岩(かもしれない)を通過し、
ヒノキの植林に囲まれてもくもくもくと歩いています。
酒瓶。醤油瓶なわけがない。
小屋跡を通過します。
1000m圏で右から登ってきた尾根と合流すると
尾根の形はぼんやりとしてテキトーに歩いています。
ぽかりと明るい広場から右へ。
テキトーに登ってきたんですがこれはかなりキツく、
1090m圏でなんとか尾根上に復帰。
急登がつづき、
1180m圏で尾根はちょっぴり平坦になりました。こう言っちゃなんですが、ほんとにほんのちょっぴりですぐ先に急勾配の斜面が見えています。
ぐーっと登って
1229mの標高点あたりです。境界杭が2本立っています。長いカラ沢尾根で唯一の標高点です。おしみつつ通過します。
新緑にまみれて登ります。
右手にネズミサス尾根が薄っすらと見えます。
1350m圏でネズミサス尾根と合流。ネズミサス尾根の形はなんとなくわかる程度。下りでこのネズミサス尾根をビシッととらえるのは難しそう。
もう1回、ネズミサス尾根に合流? みたいな奇妙な地形です。
鷹ノ巣山、かな。
こう見えてもかなりの急登です。
ゆる~い傾斜を
あちらから登ってきてロープをくぐると
石尾根のカラ沢ノ頭(1490m圏)に到着です。これにてカラ沢尾根はおしまいです。以前は石柱のそばに手製の山名板があったんですが見当たりません。
古道は見つからなかったもののカラ沢尾根の最下端から取付くこことができました。これで善し、とします。ほうじ茶を一口二口飲んで石尾根を下ります。

カラ沢出合のカラ沢尾根最下端からカラ沢ノ頭までのダイジェスト動画です。
さて、石尾根を下ります。9回表、15点差で完投勝利目前の金田正一の投球みたいなものです。お気楽な出発です。と思ったらいきなりすんごい危なっかしい急降下です。おそらく石尾根でここがいちばんの勾配だと思います。
そんなこんなで将門馬場を通過し、
六ッ石山北面の登山道はゆるいけれど登りがずーっとつづいていつもシンドい思いをします。六ッ石山への分岐でザックを降ろして休憩です。消費期限が切れた山崎製パンの「酒まんじゅう」を喫食します。消費期限が切れる前に買っていたんですが、いつの間にか切れてました。221kcalなり。
六ッ石山の山頂はパスし、六ッ石神社跡を左手に見て
大岳山を正面に見ながら下り、
1227mの標高点あたりを通過します。
三ノ木戸山北面の十二天尾根の分岐です。ではあるんですが、林道がつくられて十二天尾根はもう歩けないんじゃないんでしょうか。
分岐からの登山道はとんでもなくボブスレーのコース状態です。歩くのはとてもツラそう。幸い、右上に新しいしっかりした踏み跡ができています。
934mの標高点あたりを右上に見ながら通過。
山ノ神に立ち寄ります。大正7(1918)年の建立のようです。第1次世界大戦が終結し、米騒動が起きた年です。
峰畑峠を通過し、
814mの標高点あたりを右に見上げながら通過。
完全に崩壊した桟道の下にできた新しい道を下ってきて
2体の馬頭観音を過ぎ、
車道に降ります。混んでいます。これにて石尾根はおしまい、とします。
羽黒三田神社の長い階段を
下ってきて
佐藤商店で缶ビール買って、原新衣料品店で久々に「奥多摩の男(ひと)」と会いました。「奥多摩の女(ひと)」がいなくなってずいぶんたちます。寂しくないでしょうか。まっ、そんな野暮なことは聞けません。2人は伏し目がちながらも元気でした。わたくしの坐骨神経痛のことを気づかってくれたのにはちょっと感動。お互い、着ているシャツを褒め合い(わたくしはカリマーのおニュー)、再会を期して別れました。
乾杯!
山の神様、地権者の皆様、きょうもありがとうございました。ハードかつ楽しい尾根歩きを無事に終えることができました。雨がちな季節になりますが、またの尾根歩きも、よろしくお願いします。