奥多摩尾根歩き
山ノ神尾根、石尾根

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今回は山ノ神尾根を登り、石尾根を下りました。
山ノ神尾根石尾根の狩倉山(不老山)から北東に下って日原川に没している尾根です。『奥多摩 登山詳細図(西編)』(吉備人出版)には小菅山の下から南にグッと折れるルートが紹介されていますが、今回は古い地図にならって小菅山からまっすぐ下って日原川に没する「本来」の山ノ神尾根を歩こうという魂胆です。
まずは山ノ神尾根の下端に建っている(はずの)山ノ神の祠をめざします。
コース JR青梅線奥多摩駅→[START]白妙橋バス停→日原川右岸日原古道→(1時間)山ノ神→山ノ神尾根→(6時間10分)狩倉山→石尾根→(2時間)[GOAL]JR青梅線奥多摩駅
(9時間10分)
歩いた日 2024年1月27日(土)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

JR青梅線奥多摩駅→[START]白妙橋バス停→日原川右岸日原古道→(1時間)山ノ神→山ノ神尾根


山ノ神尾根へのアプローチは日原川右岸の古い道を歩きました。地形図は神社記号の上方に岩崖記号が綿密に設計された城塞のように尾根を取り囲んでいます。地形図にミスはなく、現場は「これはちょっと怖いかも。いや、そーとー怖い。。。まずい」の連続でした。

おはようございます。白妙橋(しろたえばし)バス停です。川乗橋に向かうバスを撮ろうとしたんですが間に合いませんでした。
今回の山ノ神尾根のルートです。「大沢」あたりから神社記号に向かって日原川右岸を歩き、神社記号から「山ノ」という文字を経て「小菅山」、「神尾根」、「狩倉山」まで登ります。地図は『奥多摩』(宮内敏雄 昭和刊行会 昭和19)の12ページから引用しました。
日原川に架かる白妙橋を渡ります。「この橋は、たいへんゆれますので、走っ(後の文字は消失)」という看板があります。揺れるから走ってサッサと渡れということなんでしょうか。そんなわけないか。
狭いトンネルをくぐります。
向こうに見えるトンネルから歩いてきたんですが、この道は
ほとんど歩かれていないようです。
集落のネコ。
テキトーに上へ上へと歩き、集落を抜け、小菅集落へ向かう道を分け、ロープがタラーンと張られた正面の道へ侵入します。
鳥屋戸尾根の笙ノ岩山が朝日に照らされています。
対岸に日原川に沿って蛇行する日原街道(東京都道204号日原鍾乳洞線)が見えます。
思ったよりしっかりした道が続きます。この道は大正12(1923)年に西多摩郡道から東京府道242号日原氷川線になり、さらに都道204号日原鍾乳洞線に改称。現在のように都道が日原川左岸(北側)の道になったのは昭和28(1953)年のことで、それまでの林道が都道に格上げされたらしい。
※『険道と標識のページ』の「都道204号(日原鍾乳洞線)の改良」、『山さ行がねが』の「日原古道探索計画」を大いに参考にさせていただきました。ありがとうございます。
「都道はあっちなんで」とこの道がいきなり閉鎖されたわけではなく、旧道として使われていたんだけれども崩落なんかでやがて廃道に。平成25(2013)年の奥多摩町議会定例会連合審査会では「管理者であります東京都に要望を行い、町としましては右岸道路の新設ということで、大沢から戸望までの旧道敷の整備をしたところでございますが、何分、急傾斜地と地形、地質の関係がございまして、道路整備は非常に厳しい地域であると。その先の施工は不可能という調査結果をいただいて断念した経緯」があると述べられたりもしています。つまり、できるところは整備はしたけれど戸望から先の日原までつなぐ道路は無理、つくれない、ということで今に至ったようです。
道に水道局の制水弁や空気弁が敷設されているんですが、水はどっちかたどっちに流されていたんでしょうか。
ちゃんと撮れませんでしたが、岩盤の上に生えたように滑らかに美しく組み上げられた石積みです。
どーしてこーなるの?
めちゃくちゃ緻密な石積みの擁壁。
送電線がほぼ直角に方向を変える鉄塔。
日原トンネル南面の奥多摩工業氷川鉱業所の建物群。ひっそりとしていますが、時折、ごく低いズンという音が聞こえてきます。発破でしょうか。
前方の対岸に古い地図にトボウ(戸望)岩と書かれているあたりが見えてきました。トボウのトは戸で、日原の戸口のような岩だということのようです。「トボウ岩 大字日原一原にあり、日原川の岸より屹立せる断崖にして高さ一千尺全山無数の柘植樹叢生して他の雑木を交えず、南岸の道路より之を見れば手を以て之に觸るゝを得るものゝ如し、削りて立てたる如き絶壁なるにより登攀する事を得ず、試みに南岸に立ちて石を投ずれば、中間を隔て、流るゝ日原川を越えて直ちに山の中腹に當る、以て如何に南岸の北岸に突出し居るを知るに足るべし」(氷川案内記 氷川村青年会編 氷川村青年会 大正9年)。ひとめ見たかったんですが、トボウ岩はどこかのビルや道路や橋になったのでしょう。
そんなトボウ岩を彷彿とさせるような気がしないでもないこちら側の断崖を見上げてみます。切り替え画像は『奥多摩 それを繞る山と渓と』(田島勝太郎 山と渓谷社 昭和10)の96ページに記載されているトボウ岩と山ノ神。
水道管がむき出しになっていました。振り返って撮影。
崩落した大岩の向こうに広い平地が見えます。
風呂桶ではなくトロッコです。煙突ではなく電柱です。
広場の突端に封鎖された鉄柵がありました。この先に日原川に架かる吊り橋があります。踏板はないんですがワイヤーは対岸に渡っています。かつて倉沢集落からこの吊り橋を渡ってきて山に入ったに違いありません。
対岸に旧都道のものらしいガードレールが谷の宙空に垂れていました。
広場の先。扉だけの向こうに道が続いています。
水道管も見え隠れしながら続いているようですが、この先が整備できない、道はつくれない、と都に判断された領域です。
足元に祠の屋根を見つけました。十中八九、山ノ神のものでしょう。けれども、山ノ神の境内は
この坂の上のはず。ずり落ちたズボンを引き上げ、坂を登ります。
自室よりかなり広め(不要な情報ですよね)の10畳くらいの平地に出ました。中央に祠の土台だけが残っています。
広場に落ちた屋根。
梯子の1段目がなくなったような気分ですが、ようやく尾根歩きです。ここでは「神社仏閣道背負う」のセオリーが無視されています。道なんかありゃしません。
テキトーに右手の崖に取付きます。
落ちたらそーとーヤバい場所を登ってきて
登るんですが、なんですか、あれは? とんでもなく大きな岩というか断崖が立ちふさがっています。
左側を探索。絶望。
右側。踏み跡らしきものが見えます。ヒトではないと思うんですが、なんでもいいです。
左手の岩の割れ目からひょいと登れる、
なんてことはなく、その横の溝に移動。
這い上がります。浮いた根っこが多くルーツファインディング(登攀を支持する木の根を探ること)がラクだったのはラッキーでした。
あの鞍部をめざすか、
この踏み跡でトラバース(山腹水平移動)して巻くか、
鞍部に近寄ってみたんですが岩の縁がめちゃくちゃ尖って見えます。引き返し、
トラバース後にこの溝を這い上がって
ここから出てきて
尾根上に復帰しました。
登ります。
あちらからやって来て
また断崖です。
左に回ってみると
無理。
右へ巻くとその先には
また断崖。標高620m圏(以降、「標高」は省略)です。こんなの登るのは論外として右に巻くのも無理。
左には下に向かう踏み跡? みたいな落ち葉の堆積があります。
たどります。すごい急降下です。グーーっと下ってそーとー向こうに見える小尾根を登って大きく巻く、そんなルートなんでしょうか。
そこそこ下ってきてふと見上げたら断崖の横っ腹に狭いけれど通れそうな廊下が斜めに登っています。人為的な道に見えなくもありません。登り返してきてじっくり観察。なんとか通れるような気がしないでもありません。
廊下をルーツファインディングしながら這ったり岩壁にへばり付いたりして進んできました。
くの字に方向転換です。ちょっと後悔。そこそこ後悔。隣の小尾根に移ったほうがはるかに安全だったはず。でも、もうここから引き返すことは難しそう。
落ちたらほぼ自由落下です。写真なんか撮ってる場合ではありません。そーとー後悔。
あの岩のてっぺんをめざします。左の岩下に潜り込むようにして四つん這いで登ります。背中とザックの間に背負っていた杖の石突がガリガリと岩に当たるのでできるだけ頭の上に引き出したんですがカブトムシの雄のようです。
カブトムシくらいのスピードで這い上がってきました。
尾根上に復帰。630m圏です。標高差10mほどを登るのに40分以上かかっています。
岩の突端から倉沢橋が見えました。丈夫な奥歯みたいに並んだ岩崖記号のほとんどをクリアしたんですが、
地形図にはもうひとつ、岩崖記号があります。あそこで終わりでしょうか。
ヨコスズ尾根鳥屋戸尾根を分ける倉沢谷が上流までずーっと見えました。
尾根の右手が激しく切れ落ちています。
なにも案内せず自分だけを支えている支柱が立っています。
その先の小ピークに鉱山施設の遺構がどしゃっと固まっていました。地形図の「せっかい」の「か」のあたりです。
対岸を見つめながら
ワイヤーや台座の鉄組や
滑車や
巻き上げ機がじっと時間を溜めています。
遺構の立ち並ぶ小ピークからの下りはギューッと絞られて石畳の通路みたいになっています。下って
そのまま尾根上を登ってきました。
登った小ピークのてっぺんには重機の残骸があって
下った広場には2台のブルドーザーが向き合ってなにやら話しているようです。積もる話は尽きたけど、まだまだ積もりそうです。
このあたりの尾根は造成ではっきりしないんですがあの白っぽい岩峰が尾根筋にあたります。階段の手すり? と思ったのは錆びたトロッコの軌道でした。直登は無理そう。
岩峰の根元を左に回り込み、巻くルートを探します。
ブル道があったので登ってきました。このまま岩峰を越えられるのかと思ったんですが、甘かったです。
ブル道はあのてっぺんで行き止まり。
行き止まりからの景色はめちゃくちゃ
いいんですが、
この岩峰を越えられるのかどうか。活路を見出そうとかつての作業道らしいザレたのっぺり道を右往左往しました。
埋もれかけた坑口に出くわしたりもしました。
岩峰の上方から垂れている直径2cmほどの黒い樹脂製のパイプをつかみながら階段状になった岩崖を登れそう、そんなルートがあったんですが、斜度がキツくて断念。引き返すことにしました。下りがこれまたデンジャラス。
ブル道の途中から尾根の横っ腹に取付き、登ってきました。ザレていてかなりの急登です。
稜線をめざしてテキトーなくの字くの字で急登をいなしながら登ります。
急斜面に垂れている碍子付きの電線をロープがわりに使ったりもしました。
760mくらいで尾根に復帰。下方です。黒パイプはありませんでしたが金属管がビシッと尾根上に設置されています。
山ノ神尾根はまだまだこれからです。