奥多摩尾根歩き
峰畑峠道ほか


今回、尾根はちょっとしか歩いていません。なんの因果か、奥多摩のトップガンMさん、ダンディ髭のSさん、わたくしのジイさん3人組で三ノ木戸山(さぬきどやま)の東面を歩くことになりました。小中沢を右岸から左岸に渡り、古道をたどり、石尾根の峰畑峠近くから北に下っていく地形図の破線を探索したりする、合計約210歳のちょっとむさ苦しい山歩きの記録です。
コース [START]むかし道小中沢観光トイレ→575m標高点尾根→小中沢渡渉→三木ノ戸集落→三ノ木戸林道終点→峰畑峠→破線探索→不老林道→[GOAL]JR奥多摩駅
(7時間)
歩いた日 2024年3月24日(日)
※赤い線が歩いた軌跡です。ただ、正確無比なものではありません。あ〜、そ〜、このあたりを歩いたんだ、程度の参考にしてください。

三ノ木戸山の東面を南から北へ、かつての生活道をたどってみたものの。。。

おはようございます。むかし道小中沢観光トイレの裏から登ってきました。モノレールはここから左へくっと曲がって小中沢の上流に向かいますが、
我が隊はそのまま575m標高点尾根(テキトー命名)を登ります。
そこそこの急登に枝打ちされた枝葉がたっぷり積もっています。
標高490m(以降、「標高」は省略)あたりで境の集落から登ってきたしっかりした道にぶつかり、
休憩。
尾根をはずれ、道をたどります。
灌木だらけのザレた山肌で道はほぼ消失。隊はあちらこちらにバラけます。歩きづらいので
575m標高点尾根に復帰することに。尾根下で休憩。
尾根に乗ってすぐの575mの標高点あたりです。岩がどすん、とありました。
575m標高点尾根を登り、
ふたたび尾根をはずれ、踏み跡をたどってトラバース(山腹水平移動)です。
道すがら。三ノ木戸山や林道小中沢線の終点に建っている小中沢に似た名前の政治家の別荘といわれている大きな家が見えました。
植林内に入り、人家跡を通過します。変圧器や扉がぴらーんと開いた電源ボックスが残されていました。
かつての生活道をめざして小中沢の渡渉ポイントをめざします。
谷地形を越えてトラバースを続けたんですが、
進行困難と判断。小中沢に向かって下りすぎました。小尾根のザレたそこそこの勾配を登り、
新旧の判断がつきづらい石仏を過ぎ、
平坦で広ーい広場で軽く食事をとります。Mさんはサンドイッチ、Sさんはなんだっけな。Sさんはいつもいろんな食べ物を持っています。電車でばったり会うとよくお菓子をいただきます。わたくしは「シリアルブラック 1本満足バー」を半分ほどかじりました。
腰を上げ、出発。ミツマタの花が満開でした。
ほぼ水平な道を進み、
道の終わりあたりから小中沢に向かって下ります。ワサビ田のブルーシートが見えます。
渡渉ポイントへ向かいます。
Sさんの視線の先、小中沢の上流には「6段のワサビ田」(Sさん測定)が広がっています。倒木で休憩。
荒れてはいますが石組みのある形ははっきりわかる道で山に入ります。Mさん曰く、境から三ノ木戸への生活道だったらしい。
しばらくモノレール沿いに歩き、
モノレールをはなれ、巨岩に向かって登り、右横を抜け、
大きなくの字くの字で登ってきて
登り、
モノレールをまたぎます。
三ノ木戸の集落のはしっこでしょうか。廃屋(ですよね。違ったらごめんなさい)を過ぎ、
4宇の祠がまとめられた社を過ぎ、
モノレールの駅舎を過ぎ、
三ノ木戸展望所と呼ばれる舗装された広場に出ました。小中沢林道の終点です。御岳山や大岳山、鋸山、御前山が見えた、はずです。休憩。「三ノ木戸の部落は、昭和十三年秋の暴風雨に、日原の山葵田が潰滅に近い大打撃を受けて以来、奥多摩随一の山葵の産出を誇る小仲澤に沿う明るい部落だ。此のあたりから下瞰する多摩川の清流の煌き、街道を行く寸人豆馬は南畫そのものである。」(『奥多摩』宮内敏雄 昭和刊行会 昭和19 353-354ページより)。
小中沢林道をてくてく下って石尾根の峰畑峠への道を確認。擁壁の上にかろうじて「六ツ石山」と読める道標が擁壁の上に立っています。
いまここにいます。城(じょう)という集落の上のほうです。Mさん持参の『奥多摩 登山詳細図(西編)』(吉備人出版)のコピーを借りて撮影。城から峰畑峠をめざします。
車が駐車していた広い舗装道路を登ってきて左に曲がるとすぐに行き止まりでした。「これは楽ちん」などと思っていたんですが甘かったです。石段を登ります。
石段の途中で左に曲がる狭い石段を登るのがめざす道だったんですが、しばらく道なりに歩いてしまい引き返しました。大きなくの字くの字で高度を上げていきます。
登ってきて
石尾根の峰畑峠に到着。何度か歩いた場所ですが、名前のある峠だと初めて知りました。越路ノ杜(こえじのもり こいじのもり 越路ノ森)という名前もあるらしい。というか、越路ノ杜のほうが古称っぽいです。城から峰畑集落(切り替え画像 『奥多摩』宮内敏雄 復刻版 百水社 11ページより引用)へ、峰畑から城へ乗越す峠です。
まるでこれから大変な山歩きになることがわかっているかのように長めの休憩をとりました。歩こうとしている地形図の破線(徒歩道)をMさんもSさんも探したことがあるそう。けれども見つからずについにきょうを迎えた、といったらなんだか大げさかな。
破線は峰畑峠から石尾根を100m登ったあたりから北に下って寺地沢という沢の源頭をぐるりと回り込んで不老林道に合流するけれどすぐにはなれて将門神社を経て峰畑集落へと続いています。
石尾根の北面を目を大皿にして道を探しながら少しずつ登っていたところ、20mほど下に古そうな赤テープが木の幹に巻かれているのが見えました。かなりの急斜面に踏み跡らいいものはなかったんですが、
赤テープから西に道っぽい道がのびていました。念のためにスマホGPSで確認すると破線と重なっています。「これじゃないの」と、ちょっぴり膝を高めに上げて意気揚々とたどることにしました。
道っぽい道をたどっていたらなんだか怪しくなって、そのうちそーとー怪しくなって、さらにかなり怪しくなってしまいました。
あちらから歩いてきました。いつのまにか隊はバラバラです。各自、歩きやすいルートをチョイスしているもよう。
スマホGPSを確認すると破線から大きくずれています。下って道探しをするも道なんかありゃしません。間伐された木をまたいだり回り込んだり、枝打ちされた枝葉に乗ったり落し穴みたいにはまったり、そーとー消耗しながら破線歩きを諦め、隊は散開(各自のテキトー歩き)と集結(間伐された倒木に腰を下ろして小休止。今後の作戦を練ったり練らなかったり)を繰り返しながら
方向だけ気をつけながら下っていきます。眼下に小屋の屋根のようなもの(これはワサビ田のブルーシートでした)や林道(これはたしかに林道でした)が見えてきました。
植林を抜け、畑跡みたいな場所に出ます。原っぱの縁を下っていきます。「山稜を踰えて北に、寺地澤の源頭を廻り込むやうに降ると、植林が切れて明るくなり、峰畑奥の三四軒の人家が近くなる。」(前出『奥多摩』 354ページより)。
不老林道です。
あの奥から下ってきました。
クマの警告板の向こうのMさんの向こうは「玄庵」というちょっと謎の建物。「三四軒の人家が近くなる」の人家かな、は穿ちすぎか。
不老林道に降りた隊は無事の帰還にハイタッチ。合計約210歳で不老を祈るわけでもなく、あーだこーだと話しながら林道を歩きました。
羽黒三田神社の長ーい階段を下ります。3分割された階段は73段あるそう。
奥多摩駅に着くと次の電車まで40分待ちでした。隊は峰畑峠からの破線は「廃路ではなく消失」ということで結論づけました。ほか、SさんがMさんに出したメールがどうしても届かないことなどが反省会で熱く議論されました。
山の神様、地権者の皆様、きょうもありがとうございました。ちょっとヘンで楽しい山歩きでした。また、よろしくお願いします。